シス・カンパニー公演『ヘッダ・ガブラー』感想・レポ・レビュー

感想・レビュー

シス・カンパニー公演『ヘッダ・ガブラー』

120年以上変わらない新しさ!?

19世紀終盤のノルウェー。文明史を研究する若き学者のイェルゲン・テスマンは、故ガブラー将軍の娘で社交界の華だったヘッダと結婚し、5ヶ月に及んだ新婚旅行から帰還しました。
新居はヘッダの望みによる高級住宅で、イェルゲンが、叔母たちに年金さえも工面してもらい、懸命に手に入れた理想の邸宅でした。
一方、ヘッダは人生の全てに退屈していて、新しいメイドや家族にも馴染もうとしません。
人が良く誠実なイェルゲンは、高給の大学教授の地位を手に入れるはずだったのですが、思わぬライバルが出現したことを友人のブラック判事に告げられます。
イェルゲンの畏友で、才能がありながらも酒で身を持ち崩して街を追放された、エイレルト・レェーヴボルクが更正し、話題となる本を出版して注目を集めていたのです。
エイレルトの協力者で共同作業者でもあるエルヴステード夫人は、ヘッダの学生時代の後輩でした。夫との心の通わない生活から逃れようと思い詰めたエルヴステード夫人は、テスマン家を訪れ、二人にエイレルトが再び酒乱にならないよう助けてほしいと頼みます。
じつは、ヘッダはイェルゲンと結婚する前、エイレルトと恋仲だったのですが誰もそのことは知りません。「一生に一度でいい、人の運命を左右してみたいのよ。」ヘッダの心中に暗い炎がともります…。


シス・カンパニー公演『ヘッダ・ガブラー』観劇レビュー

ヘンリック・イプセンは、シェイクスピアと並び賞賛される劇作家です。「人形の家」(1879)で、夫に支配される妻という立場から自立する女性・ノラを描き、世界中にセンセーションを巻き起こします。
これは日本でも、近代のイデオロギーを表現すべく新劇が立ち上がった潮流と見事に重なり、1911年に島村抱月訳で松井須磨子が”新しい女性”を演じました。
一方、イプセンの晩年にさしかかる1890年に発表された戯曲「ヘッダ・ガブラー」のタイトル・ロール、ヘッダは、ドラマティックで稀代の魅力を放つキャラクターです。
海外ではマギー・スミス、イングリッド・バーグマン、ジェーン・フォンダ、ケイト・ブランシェットなどの錚々たる女優によって演じられてきました。1891年の初演当時には、新しすぎる女、けしからん稀代の悪女、現実にいるはずがない破滅的な美女、などと評されましたが、果たしてそんなに分かり易い存在ではありませんでした。
ヘッダは、異性や結婚に対して何の幻想も抱いていません。不機嫌で憂鬱、しかし他人の目を異様に気にします。
気鋭の学者だったエイレルトが惚れこむくらい、物事の本質を知識によらず直感的にとらえ評する怜悧な知性を備えるゆえに、プライド高く臆病で、自分で何かを作り上げることを放棄した人として描かれます。
エルヴステード夫人のような、与えられた環境から飛び出し道を切り拓こうとする生命力を蔑み、イェルゲンという身持ちのよい、空気が読めず束縛しないタイプの夫ならば、自分が忍従しなくてすむという打算に身を置くのですが、これは女性であれば、冷え冷えとリアルに感じる人物像でしょう。
そしてヘッダは、登場人物の誰よりも、他人に支配されることを自らに許しません。
イェルゲンの子を宿しながらもテスマン夫人としてではなく、ガブラー将軍の娘として自らの美学を貫きます。
ヘッダのドラマがノラとは違った意味で後世に語り継がれているのは、ステレオタイプな母性という概念を寄せ付けないほど、孤高で鋭利な人間性の存在が鋭く喝破されているからにほかならず、そのキャラクター造形は今なお鮮度を保ちつづけているのです。


シス・カンパニーによる本公演は、2013年に紫綬褒章を受章した現代演劇の第一人者、栗山民也による演出です。原作戯曲にほぼ忠実ながらも、現代の感性にぴたりと重なる“匠の技”が冴え渡ります。
ヘッダを演じる寺島しのぶは、全ての所作が歯切れ良く美しく、一瞬たりとも目が離せません。疾走感に哀感をにじませてゆく表現がみごとです。
イェルゲン役には小日向文世が、上質なコメディテイストを持ち込んでいます。飄々とした「びっくりだね!」という決まり台詞が、最初は笑いを、最後には戦慄を呼ぶでしょう。

公演データ

2018年4月7日~4月30日
Bunkamuraシアターコクーン
作:ヘンリック・イプセン
翻訳:徐賀世子
演出:栗山民也
美術:二村周作
照明:勝柴次朗
音楽:国広和毅
音響:井上正弘
衣裳:前田文子

ヘッダ・ガブラー:寺島しのぶ
イェルゲン・テスマン:小日向文世
エイレルト・レェーヴボルク:池田成志
エルヴステード夫人:水野美紀
ミス・テスマン:佐藤直子
ベルテ:福井裕子
ブラック判事:段田安則

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